賀茂川ウォーク

京都     賀茂川河川敷    2005年6月3日

 

 

   用事で京都に行って,時間が余ったので,ついでに賀茂川をさかのぼってみることにした。
  
   スタート地点は京都家裁横の葵橋。出町柳の高野川-賀茂川の合流点からにしたかったのだが,妹とお茶していた喫茶店が葵橋のすぐそばだったので・・・。
「要は,横着したんです!」

賀茂川ウォーク溯行編

 

鴨か賀茂か加茂か?】

    ここで,解説。賀茂川とか鴨川とかあるが,河川法上の名前は鴨川,通常は,出町柳で高野川と合流するまでは賀茂川,それから下流は鴨川。しかし,加茂街道とか加茂川中学校や上賀茂小学校なんてのもあるので,ややこしい。さらに,上賀茂神社,下鴨神社。ああややこしい。しかし,きちんと使い分けるのが礼儀というものだろう。

【葵橋から加茂街道】

    賀茂川右岸を遡る道は加茂街道という。葵橋を出発点として北へ,西賀茂の北あたりまで堤防の上に道が続いている。その先は?まっすぐ行くと市原-雲ヶ 畑-桟敷ヶ岳と行き止まりになる。むろん山道は続いていて,峠越えで由良川源流の井戸へいけるのだが,まさかこれは加茂街道ではないだろう。どこまでが加 茂街道なのかよく知らない。ちなみに,賀茂川源流は,貴船とか静原から下ってきて市原で合流するもう1つの流れよりも,雲ヶ畑経由の桟敷ヶ岳の方だと思う ので,いつかは遡ってみたい。
     そんなことより,加茂街道は葵祭の行列が通るところだ。行列は,10時半,京都御所出発,→丸太町通→河原町通→下鴨神社到着。ここで「社頭の儀」が行われる。午後2時過ぎに下鴨神社を出発,下鴨本通→洛北高校前→北大路通→北大路橋→加茂街道,御薗橋を渡り上賀茂神社に到着は午後3時半過ぎとなる。例年5月15日は雨が多いそうだが,今年はお天気に恵まれたようだ。


行列の葵の橋にかかりけり  子規

ん?巡行マップをみると葵橋は通らず,出町橋を通るようだし,また,正岡子規も京都には住んでいないはずなのだが,その頃は葵橋を通ったのか?橋のたもとにでも葵があったのか?

【賀茂川河川敷】
    ともかくも,葵橋から河川敷に降りて遡る。少し気温は高いが,風がさわやかである。
    三条大橋あたりから見る鴨川の水はきれいだが,河川敷におりてみると,川岸に近い澱みなどはそうでもない。フナやコイなどの小魚がいるらしく,サギがそれをねらっている。しかし必死でねらっている,というようなものでなく,ぽつんと1羽でじーっとたたずんていて,思い出したように探しはじめる,という感じで,まことにのんびりしている。



    ふいにサギが動いたので何か?と見てみると,アメンボが水面を這いまわっていて,その下には小魚の群れが右往左往していた。のんびりとはいえ,のんびりしているのは,サギとか自分であって,狙われた小魚はたまったものではない。

   アメンボの上からのぞく狩のサギ

    流れのあるところには大きな(目測で30~50cm)コイと思われる早い魚が悠然と泳いでいる。このくらいの大魚になると,サギもねらわないらしく,こ
れまたのんびりと泳いでいる。カモもいて,ゆったりと流れているか,一本足で佇んでいた。
    河川敷には地道があって,サイクリングやランニング,写真を撮りながら歩いている人がいたり,ベンチで寝転がっている人やカメラを持ちながら散歩している人もいた。まことにのんびりとした道であった。

【賀茂川の植物】
    賀茂川の堤防にはおもにエノキが植えてある。樹齢も相当なようで,なかには直径1m以上あるものも多い。エノキについてはよく知らなかったので調べてみた。ニレ科で,ハルニレ,アキニレ,エノキ,ケヤキ,ムクノキなど同科であった。葉っぱもよく似ており,私のような素人では見分けがつかない。
   夏には緑陰を提供し,秋には紅葉して目を楽しませる。仙台・青葉通りのケヤキ並木はきれいだった。秋に行ったことがあるが,ホテルのレストランで朝食を摂りながら,ハラハラ落ちる紅葉を眺めていた。 ケヤキは,京都では,白川通 (宝池通~今出川通),堀川通 (加茂街道~北大路通),御池通(堀川通~鴨川),新林本通(国道9号線~竹の里本通)が有名だそうだ。エノキは,加茂街道(御薗橋~葵橋),伏見濠川沿 (角倉橋~伏見港公園)が有名である(京都市都市緑化協会のHP)。街路樹のほかに学校などにも植えてある。「ニーレのこかーげに,弾ーむ声」とあるよう に,学校には昔から植えてあったようだ。


   暑くなってきたのでエノキの木陰で休んだ。まことに清々しい風である。花は5月に終わっていて,今は小さな蒼い実がたくさんついていた。秋になるとこれを鳥たちが食べにくるのだろう。
    雄バトがメスを追いかけてきた。そのうち,もう1羽のオスがやってきて,けんかしながら飛び去っていった。残されたメスは,ポカン(多分)として・・・・「何やってんのよう」と言わんばかりだった。
    堤防にはヒメジョオンがたくさん咲いていた。あと,アカツメクサとかが花を咲かせている。春から夏への移り変わりで花の種類は少ないようだった。

【へびの話】
    北山橋を過ぎたあたりで,久しぶりにへびを見た。10mほど先の中洲の水際を泳いでいた。色からするとシマヘビのようだった。
    突然,キキーキー,キキーキーと鳥の声。見たところ小さな鳥で水にもぐるようだったので,カイツブリかなにかだろう。近くに巣があって,雛かたまごがまだ巣にあるのだろう。へびは結構な速さで水際を泳いでいる。数メートルも進んだところで,鳥の声が変わった。
   キーィ,キーィ,キーィ,ギキーキ!
いかにも切迫した感じであった。
思わず傍らにあった小石を投げた。ヘビには届かなかったが,ぼちゃんと音がして,へびはいなくなってしまった。少なくも,獲物を狙う姿はみえなくなったの で,危機は脱したのだと思う。おかげで,こちらはいためていた右腕にずきりと痛みが走って,1~2分立ち止まってしまった。

   良かったのかどうかは分からないが,へびは苦手で,みると反射的に行動してしまう。へびに襲われたとかはなくて,全然うらみはないのだが・・・・
昔々, 小学生のころ(上がる前かも),イナカの家の向かいの小さな丘になっているところを,花かなにかを探していた。ふと足元の草むらをみると,丸太のように大 きい,それらしい模様の入ったものが動いた気がした。一瞬,ヘビだ!と思って,3mほどある崖を自ら転がり落ちた。今までみたこともない得たいの知れない 大きなものが動いた気がしたのが怖かったのだ。
それ以前にも,大人たちから「マムシがでるで草むらには行かんように」とか,マムシに噛まれてなく なったバスの女車掌さんの話とか,マムシ酒をつくるために焼酎のビンに入れておいたのが逃げ出して,台所にとぐろを巻いていたとか,マムシの骨粉を作るた め,皮を剥いでくしに刺しても,くねくね動いている姿を見たとか,いろいろマムシにまつわる怖い話は見たり聞いたりしていたが,いずれも安全な場所で知識 として知っていただけだった。しかし,自分ひとりで「危機」に直面したのはこれが初めてだったように思う。
    ほんとにヘビだったのか?単なるそれらしい丸太だったのかも知れないが,分からないだけに「見たこともない得体の知れないもの」に反応して,それが今でも残っていて,ヘビ嫌いになっていると思われる。

   まあ,しかし,「縁は異なもの」というが,ウチの奥さんの干支は「巳」だったことを付け加えておく。相性は,まあいいのでご心配なく。

 

賀茂川ウォーク御神徳編

上賀茂神社】
   御薗橋を東へわたるとすぐ,上賀茂神社である。一の鳥居をくぐると白砂のエントランスだった。
   上賀茂神社は,正しくは,賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)という。この地を支配していた豪族,賀茂氏(鴨族)の氏神を祀ってある。御祭神は別雷神(わけいかずちのかみ)即ち,下鴨神社の祭神・玉依姫命(たまよりひめのみこと)の子で,農耕神である。雷神も祀ることから,厄除けの信仰も集めている。しかし、本当のご神体は,神社の北約2kmにある「神山(こうやま)」なのだそうだ。登れないが,その頂上には多数の岩石があり,最大のものを降臨石という。


   鴨族はもともと弥生時代に,葛城山の斜面に住み着いて陸稲や稗,粟などの畑作農耕に従事していたらしい。それがだんだん水稲栽培をするようになり大和平野に移動したとされている。    その後も(分派が)移動を続け,山城木津川流域の加茂を経て,今の上賀茂の地にやってきたようだ。神話では,その前に,八咫烏(やたがらす)として,神武東征軍を導いたとされている。八咫烏は熊野三神の神使ともされているので,元々,鴨族は熊野にいたのかも知れない


    鴨族は山麓を切り開いていった過程で,水や雷には悩まされたのではないか。さらに平地に降りた後も,当然ながら水には悩まされたはずだ。京都では,意のまま にならぬものとして,賽の目,比叡山の山法師,鴨川の流れと言われたように,賀茂川も昔は暴れ川であった。ましてや弥生時代にあっては,上流の山々ともど も,怖れの対象であったかと思われる。そこから山の神に怖れを抱き,しかし,水源としてはとても大事なので,それを畏れる水神信仰・磐座信仰を成立させるに至ったのではないか。

   『山城国風土記』逸文によると,大和の葛城山にいた賀茂建角身命が木津川を下り,葛野川(桂川)と賀茂川の合流点までやってきて北方の賀茂川を見渡し,「狭く小さいけれど石川の清川なり」と述べ,「石川の瀬見の小川」と名付けた。その後、賀茂建角身命は賀茂川の上流の久我の山麓に住むようになった、と伝えている。桂川の方は広いけれども,当時の賀茂氏には手がつけられなかったかと思われる。
   そこに手をつけコントロールしたのが,渡来系の秦氏であった。秦氏は葛野大堰の築造を行い,肥沃な土地を手に入れることができたわけだ。その結果,後に長岡京や平安京造営のスポンサーになるほど,秦氏は財力を蓄えることができたという。


賀茂氏もその後,明神川(賀茂川を水源として上賀茂本郷地域の農耕のため開削された幅5m程度の農耕用水路)をつくったらしい。賀茂氏と秦氏は婚姻関係もあったというから,積極的提携を行い,これは勝手な想像だが,土木技術なども秦氏から教えてもらったのではないか?なかなか愉快な想像ではないか。
   この結果,上賀茂神社は,平安京遷都の時,平安京の北東の守りと位置づけられて,朝廷からの厚い崇敬を受けるようになり,賀茂氏を守る神から国(朝廷)を鎮護する神へとより大きな意義をもつようになった。

   上賀茂神社は葵祭の神社という認識しかなかったが,なるほどこういうことだったのか。

 


【パラソル】
   二の鳥居を入ると,境内は広くて明るかった。清らかな流れが,本殿の脇の林の中から楼門の前を通って,広場を迂回して林の中に消え,その先で,御手洗川本流から分流して毎年4月に行われる賀茂曲水宴の行われる渉渓園に導かれるようだった。渉渓園を過ぎると奈良の川となり,境内の外で明神川となって,今は土地の人家の庭を潤したり,生活用水にもなっているようだ。


   風そよぐ ならの小川の夕暮れは みそぎぞ夏のしるしなりける                                                        藤原家隆


   参拝者は少なかった。それだけに,よけいに清浄な雰囲気が保たれている。時折,楼門から参拝者が入ってくる。パラソルをさした女性が,それをたたんで本殿の前で手を合わせていた。
   ふと思いついてお守りを買い求めることにした。今日は義母が入院する日だったのだ。パラソルを見て,一の鳥居の前にあった案内看板に,昭和元年生まれ・数え81歳・傘寿,と書いていたことを思い出したのだった。

パラソルをたたむ老婦に母の声

 

 お守りを求めたあと,一の鳥居前の蕎麦屋に入った。パ ラソルをもって,あちこちの神社や公園をうろうろ歩き回っていた実の母親のことを思った。彼女はすでに亡く,生前あまり親孝行をしてやれなかったのだっ た。亡くなる前は病気がちで,元気になったら東京見物に連れていこうと約束していたのだが,こちらの仕事の変更や,子供の就職,それ以前には義父の葬儀な どが重なり,とうとう実現できなかったのだ。代わりといってはなんだが,義母にお守りを買ってあげたのも悪くはない,そんなことを蕎麦を食いながら思って いた。こんな気分になったのも,上賀茂神社の清浄な雰囲気と御神徳のおかげかも知れなかった。

【ラウンド・アバウト】
   上賀茂神社前のバス停広場から出る帰り道に,信号がなかったので(車もたまたまこなかった),何気なく渡ってしまった。この広場は市バスとか京都バスの発着場になっていて,特に京産大へのシャトルバスのターミナルになっているので,バスは頻発しているのに,信号がないのか?と思っていたら,あっ!ラウンド・アバウト!日本で見たのは初めてだ。ロータリーは駅前なんかによくあるが,
それとは違う。
   しばし立ち止まって観察していたら,なるほど,まず入る前に徐行して(一旦停止はなかったが),右を確認して(右から来るクルマが優先なので),クルマが な ければ進入してロータリーを周回し、めざす出口から出る。ちゃんとルールを守っていた。バイク2人乗りのにいちゃんも手馴れたもので,ちゃんと周回してめ ざす出口から出て行った。感心!
   よくみていると,そのラウンド・アバウトに進入する道は,上賀茂神社のバス出入り口を含めて6つあった。これでは信号をつけるほうが難しいか?

 

賀茂川ウォーク下鴨編

賀茂川左岸】
   帰り道は左岸をとった。右岸のように堤防上の道路は自動車道でないので非常に静かである。午後2時ころで人通りは少なかった。堤防に上がったり,河川敷に降りたり,ぶらぶらと下っていった。上りに取り残した写真も撮った。

   左岸の向こうには船形が見える。そうこうしているうちにバンドの練習している音が川向こうから聞こえてきた。あとで調べてみると京都市交響楽団の練習場があるのだった。


 

   堤防上には枝垂桜が植えてあって,棚がトンネル上になっているところがあった。春のシーズンにはよい観桜スポットなのだろう。相変わらず,ランニングしたり,カメラ片手に下っている人がいたり,寝っころがっている人もいた。
   北山大橋を過ぎると植物園である。ここのエントランスにもケヤキの街路樹がある。
   思ったより早く(遡った時より早く)葵橋に着いたので,せっかくだから下鴨神社に行ってみようと思った。

下鴨神社】 
   神社は糺の森の中にある。そのエントランスの長いこと。途中でやめようかと思ったくらいだ。鹿島神宮へ行ったことがあり,その参道とよく似ていたが,そこは京都で,より神秘的で清浄な雰囲気であった。俗心をすて心を清めよ,ということらしい。たしかにそういう気分になった。その意味でエントランスはまことに重要である。

   下鴨神社は,正しくは,賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)という。御祭神は,賀茂建角身命(かもたけつ ぬみのみこと)─ 西殿,玉依媛命(たまよりひめのみこと) ─ 東殿,である。賀茂建角身命は、古代の京都をひらかれた神さまとなっており,上賀茂神社のくだりでも触れた。御玉依姫命(たまよりひめのみこと)は上賀茂 神社の御祭神,別雷神の母上にあたる。古くから婦道の守護神として,縁結,子育ての神さまとして信仰されている。


ジューンブライドと修学旅行】
   朱塗りの楼門をくぐると,ちょうど結婚式が終ったあとのようで,身内で 写真をとっていた。よく見ると,外国人!お嫁さんは日本人らしく,白無垢の衣装で,肝っ玉母さんタイプの大柄であった。新郎はというと,なんとまあ,きゃ しゃな白人男性であった。思わず,「大丈夫か?青年!日本女性は手ごわいぞ!もとい,しっかり者だぞ!」と,寅さん風の言葉が出そうになった。新家の将来 は決まったようなものだが,縁あって,下鴨神社での結婚式だったので,御玉依姫命のように,すばらしいお子様が授かるように願うばかりだった。
   青年の父母・兄弟姉妹と思われる人も和服をきていた。女性は皆,背が高く,ブルーとか金とか原色系の和装もよくにあった美人であった。お父様らしい人も紋付 袴の格好で,これまたよく似合っていた。和服も
やはり恰幅のよい人が着ると映えるものである。一方,お嫁さんのお母さんらしい日本女性は,ドレス!


   神社を一回りして帰り道に,先程の新郎新婦達はまだ写真をとっていた。長い!
そ れはともかく,楼門を出た後,修学旅行の中学生らしい男女の集団(5~6人)に出会った。ケータイで写真を撮りながらワイワイ楼門を入っていったが,その 瞬間,立ちすくんでいた。新郎新婦をみて絶句したのだろう。今はこういう時代なのだ。「ガンバレ青年(いや少年!)グローバル時代を乗り切ってくれ」と, またしても寅さん口調。彼らにとってはよい修学旅行だったに違いない。

【名曲喫茶】
   さすがに疲れたので,出町柳で一休みすることにした。「名曲喫茶」という名前がなんともアレな店があったので入ってみた。中は本格的!老舗らしかった。
ス ピーカーは,ダブルウーファ,ラジアルホーン付きのトゥイータかワイドレンジで,よくわからないのは,全面に平面スピーカと巨大な木製ホーンがあって,ど ちらが鳴っているのか?JBLのスタジオモニターのパーツを組み上げたようだったが,クラシックなので,これも良く分からない。お店を紹介しているサイト を見ると,アンプはマランツのようだった。これは血が騒ぐ。
   音はすばらしかった。曲名も知らないバイオリン協奏曲が中心であったが,バイ オリンの,消え入りそうだがしっかり存在を主張している高音が,他のレンジの音にまぎれることなくバランスよく出ていてた。大音量でも決して崩れず,しっ かりと弦が鳴っている。ああ,バイオリンはこのように鳴っているのか,と感動した。これまでのバイオリンは,いかにいいかげんな聴き方をしていたことか。 これならクラシックも聴いてもよいと思った。しかし,本当はこのシステムでJaz
zを聴きたいぞ。

 聴いた曲で気に入ったものがあった。といってもメロディーとか曲の雰囲気を伝えられるほど文章はできないので,→こんな感じであった(少し違うが)と,写真で示しておこう。親しみやすいメロディで,かつ,リズミカルだが,たゆとうように 流れていた。写真は川端であるが,曲のイメージは,花の咲き乱れたちょっとした洋風民家の生け垣帯を抜けて小道が通じていて,広い丘へ出て行くように「歩 いている」という感じだった。目をつぶって聴いているうち,こんな光景が頭の中に浮かんできて,そのまますこし眠り込んだようだった。
   このウォークにふさわしい曲だったので,この印象のまま,賀茂川ウォークを終わりにしたいと思う。

 

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