2.星田北-打上 をあるく

2009年7月 9日

2009年7月11日

2010年4月30日

 


 7月9日、今日は暑い日だったので,夕方16時過ぎからの活動です。どっちみち,前回,歩けない所ばかり残ったので「線より点」ということで,市境スポットを見に行くというスタンスです。
 その前に、旧臨港製鉄の西側は、市境が田んぼの中を走っているし、その向こう側は、2009年7月現在、第2京阪の工事中で近寄ることもできません。そこで、第2京阪が完成した後、2010年4月に様子を見に行ったときの写真を上げておきます。

 

北星田を出たり入ったり


より大きな地図で 市境をあるく(とりあえずのまとめ) を表示

■第2京阪側道からみる
前回星田墓地で終わったので、その向こう側からの写真。
えんどう豆が植わっている畑と、右側にある草地のラインのあたりが市境か。

2010年4月30日
2010年4月30日

上の竹薮に連なっている場所です。手前の田と草地の間が市境です。竹薮の向こうに何かできると思っていたら、パチンコ屋でした!

2013年4月30日
2013年4月30日

さらにその右手、第2京阪と交わるあたり。
京阪バスの車庫でバスがずらーーーと並んでいますが、その境界が市境

2013年4月30日
2013年4月30日

■北星田の工場の端から見てみる
 星田から高田-東香里-枚方を結んでいる道路(幹線になってしまいました)を歩いて,東高野街道を横切りコンビニのところから工場街に入っていきました(16:20)。昔はこのあたり,いかにも場末の工場街という感じでしたが,近年だいぶ街らしくなってきました。こんなところ,粋狂!の市境歩きで一念発起しないといきません。市境は茄子作との境界の谷を走って,一番奥の事務所あたりまで来ていると思います。左側は京阪バスの営業所になっています。


■第2京阪を越えてみる

いったん元の道に戻り,第2京阪を越えた所にある鉄塔(16:30)。先程の京阪バス営業所からほぼまっすぐ,ここを通過していきます。

パチンコ屋の前の道から第2京阪を望むと,工場建屋の向うの駐車場あたりを横切る形になります。パチンコ屋は今日は休みか?
 「ふるさと交野の地名」の地名解説ではパチンコ屋の南は「尾道(おどう)」で,昔々,屯倉の倉があったところらしいです。古地名地図で参照していた、「星田の里とやま」星田の古地名(小字名)のマップ:http://www.eonet.ne.jp/~k-oya/mapkoaza.htm が現在リンク切れです。どこに行ったか分からなくなりました。

また第2京阪をくぐって少し戻り,水道道を行きます。水道道は,水道管を通した上に土盛りをして表面は道路として利用したものです。下は水道管なのでまっすぐ通っているのが特徴です。「農耕車両以外の通り抜けを禁ずる」ココから先は農業用専用となっているようです。地中に埋まっている水道管を保護するために,通行できる車両の重量に制限をしてるのだと思います。ここから北に折れて再び第2京阪をくぐって市境を見に行きます。

見に行くといってもなにもないので,地図から判断するだけです。400mほど歩いて,造園屋さんを越したあたりを市境が通っています。東側はこの石のある物置小屋?から送電鉄塔に向けて,西側は造園屋さん手前の田んぼの畦あたりから遠くに見え竹やぶの方に向かっています。(16:58)


ここは高田になります。もう少し先には農道が分岐しているので,そこに行ってみました。昔,この道が好きで,よく通勤で使いました。あいかわらずのんびりした道で,近所の人のお買い物道?になっているようです。オバチャンが自転車で通っていきました。

■第2京阪を越えてもどる

  17:05,また元に戻り,農耕車以外通行禁止の水道道を行きます。この先に民家があるので通れるようになっています。結構きれいな道です。どこもかしこも立ち入り禁止ですね。私有地は分かりますが・・・全部私で管理しているんですかね?ボクのいなかでは農道はだいたい実質共有で,誰が通ってもよいというのが通念でした。多分私有地もあったでしょうが,農作業(やその他の用事)として使う場合には暗黙の了解で共有みたいになっていました。その代わりに,草刈りとか道普請とか,村中総出で行っていました。そういう共同体も壊れてしまったのでしょう。

あの送電鉄塔あたりが市境のはずです。まもなく大きなニセアカシアの木が3本立っているところにきて,その先にはゲートがありました。ここが市境のようです(17:12)。ゲートの向うは寝屋(寝屋川市)です。

この道は、第2京阪の開通にあわせてアクセス道路の一部として使われました。したがって2車線の道路で見違えるようになり、ゲートもなくなりました。

パノラマ写真は市境付近にある送電鉄塔です。左の茶色の屋根の家から鉄塔にかけて市境が走っています。

2010年4月30日
2010年4月30日

2010年4月30日
2010年4月30日

■第2京阪の北側を見ています

一段と高くなっているあぜ道が市境のはずです。

2010年4月30日
2010年4月30日

 むかし,ブラブラこのあたりを散歩していて,。「このあたり寝屋長者屋敷の跡」という小さな看板が立っていましたが,もう思い出せません。小さな池があったような記憶がありますが,もっと寝屋川に入ったところだったのか?・もう30年程前のことなので。
 交野の古地名では,このあたりが「堀之内」といって,寝屋長者屋敷があったところのようです。寝屋長者屋敷は東高野街道の一里塚跡のあたりに長者屋敷の金の門があったといいますから,相当広いものだったようです。

 ここでデジカメのメモリがなくなりました。この後,もう一つのゲートから山根街道に出て,星田駅に戻りました。星田駅裏の住宅街から市境を覗いてみましたが,畑が続いているだけで,歩けないこともないんですが,ま,私有地なので歩くのはやめておきましょう。

寝屋からのアプローチ

2009年7月11日

 

■寝屋の田園地帯をゆく

 市境を越して,通勤によく通った農道にはいります。前回、オバチャンが自転車で通っていた細い道です。ここから、市境が通っている竹やぶを望みます。寝屋川、枚方、交野の三市の境界の交わるところ。


 農道はいったん府道に上がって,すぐ別の農道が下りますが,ここはショートカットで畦道のような道を通ります。府道の先の高田の集落も歩いてみたいところです。普通は車とかバイクで通り過ぎるだけなので・・・農道,いい感じですね。曲がりくねって丘に登っていく道。


 丘を越していくと竹やぶのちょうど裏手に出ます。ここから市境が通る「石のある倉庫」が見えます。こちらに向かって市境があります。

南側を見ると(右写真),田んぼの横に道らしきものがあって,ここが市境のようです。歩けないこともないが・・・


 今歩いている道はこんな感じです。このあたりから寝屋川市に入ります。というより,交野/枚方/寝屋川の三市の境界です。ここから農道はまっすぐ西南に向かいます。

さて、ここから市境の畦道あるきは遠慮しておき、大回りして農道を西に取り、寝屋経由で星田に向かいます。

 

■寝屋の農道

農道の交差点。向こう側の森は北かわち皐が丘高校です。ふりかえると畑の中の一本道。


 その北かわち皐が丘高校(の裏手)ですが,はて東寝屋川高校のハズだったがと思って東寝屋川高校のサイトを調べてみると,『平成20年4月、普通科総合選択制高校として開校いたしました。大阪府教育委員会の「府立学校特色づくり・再編整備計画」の平成18年度実施対象校となった、四條畷市にある「四條畷北高校」と寝屋川市にある「東寝屋川高校」を再編統合し、両校の伝統と歴史を継承し、新たに生まれた府立高校です。』とありました。就学人数も相当減ってきてるんでしょう。

 農道はすぐに工事中の道に吸収されました(11:03)。第2京阪へのアクセス道路です。寝屋の2丁目あたりで接続する計画のようです。

 11:06,工事中道路の突き当たりから東北方向を見てみました。こちら側が丘になっていて,下ったところを市境が走ってると思います。「星田の里とやま」によると,そのあたりは堀之内といって,寝屋長者屋敷(の堀?)があった所らしいです。

のどかな農村なんですが,すぐ横を第2京阪が走るようになるので,防音壁はあるもののウルサイでしょうね。音もさることながら,巨大なチューブには圧迫感を感じます。


 何年か前,自治会で第2京阪ができたときの騒音や排気ガスについての要望案を検討したことがありますが,景観につ いての問題意識は我々住民側にもなかったですね。道路で住民同士の連絡が分断される場所があるという危惧はありましたが,こんなにでかいものだとは思いま せんでした。

 

 一転して,昔ながらの村の道を登っていきます。寝屋の集落です。

 まもなく寝屋の山根街道と合流しました。この道も好きで,通勤でよく通りました。バイクで。昔からきっちり整備されていて,いかにも古街道という感じがしました。舗装のデザインが変ったような気がします。


ここからは山根街道を歩きます。この間のレポートは別途行うこととして、星田に急ぎます。

 

星田の西市境をあるく

2009年7月11日


より大きな地図で 市境をあるく(とりあえずのまとめ) を表示

■星田駅近くの市境

 線路手前には釣り堀があって,まだ現役のようです。(2013年10月8日、廃業されているようです)このすぐ裏を市境が走っています。向こう側の住宅地から覗いてみましたが,畑があるだけでした。

この細い道が市境/2009年7月11日
この細い道が市境/2009年7月11日
2009年7月9日
2009年7月9日

JRの高架をくぐると山根街道は突き当たりで,ここで東高野街道に合流することになります。市境は線路をくぐって線路の南側を通り、府道154号の東、家1~2軒分奥を通り、東高野街道に合流します。

■高野街道が寝屋川に行く道(府道)を渡る所に大きな石碑(道標)があります。「大井川万吉」と書かれています。この人は河内相撲から江戸相撲に行った(出世した)人だといいます。前から気になっていたんですが,やっと写真に撮れました。
 河内地方は昔から相撲の盛んな土地のようです。交野は今でも相撲が盛んなようで,先日地元のケーブルTVを見ていたら,わんぱく相撲交野場所?だったかの放映をやっていました。
 星田には毎年の春場所のときに,春日野部屋が宿舎を構えています。名門ですね。「栃」のつく力士名で有名です。栃木山-栃錦-栃ノ海と横綱を輩出して春日野親方を襲名し,現在4代目・元関脇の栃乃和歌が春日野親方です。現役力士では栃煌山が部屋のエースのようですが,最近の事情はよく知りません。2月中旬頃から星田駅にも春日野部屋の幟が立ちます。
 河内のお相撲さんというと,交野の勢関と隣の寝屋川出身の豪栄道関ですね。豪栄道は安定してきましたが、勢は前頭上位の壁か。

市境は東高野街道にほぼ沿っています。傍示川を渡るとすぐに,「大谷のお大師さん」の祠があります。これは大谷北のお大師さんです。大師堂は星田のあちこちにありますが,全部回った訳ではありません。

■大谷の東高野街道筋

右側が寝屋川左側が星田です。2,3枚目は振り返り写真なので反対。この街道筋には地蔵堂や,交野で最初の郵便局跡があるようですが,いつも通り過ぎてしまいます。

 ものの5~6分くらいで大谷の街道筋は終り,東高野街道はいったん消滅します。ENEOSの向うの住宅を突っ切っていく感じになります。

 

■星田西の市境をあるく

 交差点の角にある喫茶店の前だか後ろだか,まん中だかを市境が通っています。11:37,疲れたのでここで休憩。感じのよいお店で,ついつい長居をしてしまいまして,コーヒー一杯のハズが昼食もここですることにしました。40分ほどいましたが,冷房はやはり涼しい!


 休憩中に地図を見ながらルートを考えていましたが,この分では打上はすぐに通り越しそうなので山に登っていけるようです。コモンシティの南の3段になった池の谷を上がる道が分かりませんが,溜め池なので「当然道くらいはあるやろ」ということですが,草の生えしだいです。

 

ゆっくり休んで再開です。新しい住宅。昔の地図にはここに道らしきものが書いてありましたが,どっちみち,その先は工場みたいなのがあって,以前から通れませんでした。市境はこの住宅の前なのか後ろなのか?地図ではまん中を通っているような気がします。
府道側にはちゃんと市境の看板がたっていました。以前はこのあたりから歩道がなくて歩くのには難儀しました。


道端にあった送電鉄塔の敷地にようなところに上がってみました。田んぼの向うの低くなった道(見えませんが)が東高野街道であり、市境のようです。正面,遠くに見える谷筋が気になっているんですが。

少し迂回して,先程の向こう側の道のどんづまりまで行ってみました。ここが東高野街道であり、市境であるところ。右写真の畦道の下が市境ですね。


入口の農小屋のところから東高野街道が復活します。

 

■南大谷の大師祠

この大師祠の裏手を行く山際の道を行ってみました。  

 市境は東高野街道筋からこの畦道のあたりを登ってきて,上の畑をゴルフ場手前までいって,正面に見えるトラック基地の上あたりを横切って,再度道路に沿って登っていきます。
 手持ち交野市地図では市境はこの谷を登っていって山のほうまで行き,降りるときにはゴルフ場のまん中を通って戻ってくるように書かれています。コモンシティ造成の関係でゴルフ場も縮小・再配置しているハズなので,ゴルフ場の施設が変ったのかも知れません。

 いずれにせよ、現在たっているところから東の山際、ゴルフ場の手前が市境です。

西を見る
西を見る
南を見る
南を見る

東高野街道から南のゴルフ場をみる
東高野街道から南のゴルフ場をみる

■ため池の連なる谷を登る

市境はゴルフ場横の坂道に沿って登っていきます。谷の名前が分かりませんが、コモンシティと打上の高良神社の間の谷です。ちょうどよいあんばいの道がありました。(12:35) が,まもなく行き止まりの看板が・・・直感では行けそうなんですが,遠慮しときました。さて,本来の道を探して古い打上の村野の道を探しに行きますが,新しい住宅からは大回りをしないといけないようで,住宅をぐるっと回って元に戻らざるを得ませんでした。


 

だれもが迂回をめんどくさいと思っているのか,そこには畦道のような一本の地道が・・・それは立派な道で,通ってくれと言わんばかりです。

途中,駐車場を横切りましたが,めでたく打上の村に入りました。ここからどん詰まりまで登っていきます。ちゃんとした道が付いています。先程の行き止まりの道の畑の畦を通ればここに来るようです。(12:44)

どんどん登っていきます。ふりかえると大きなお寺が見えました。明光寺。第1の池はヨシかなにかが生えているだけで干上がっていました。


その上にはボーイスカウトの訓練所がありました。専用の家を持ってるんですね。うーむ,ここにも立ち入り禁止の看板。

2番目の池は水がありました。はて地図では池の横の山側には川(水路?)があるはずなんですが?単なる溝かも知れません。ちゃんとした道があり,その先にはゲートがあります。

第3の池は住宅地の調整池のようで,水がありませんでした。車がずらっと並んでいるのでなにかと思ったら,ゴルフ場が駐車場として借りているようでした。最後の階段でゼイゼイ言ってしまい,ちょうど上にあった公園で10分休憩しました。いや,せざるを得なかった。それにしても暑い!(12:50-13:00)この上にも大きな池があって,そこは水利の関係か,寝屋川市の飛地になっています。

気を取り直して,コモンシティの住宅地の中を,登っていきます。住宅地の南側のへりには道がありますが,そこにいく手だてがありません。至る所に「関係者以外立ち入り禁止」。「ボクはどうみても関係者じゃないもんなあ」とブツブツいいながら上まで来ました。ここまで柵ばかりで,ここが最後だと,とうとう柵を乗り越えました。なんだこの住宅地は?関係者だけで社会生活が成り立つ思ってんのか?囲い込みのイモ設計ですな!?だれもがここで柵を乗り越えているようですけど・・・(13:05)

 

 これで、交野市境をあるく 里編は終りです。2009年当時と比べて、第2京阪ができたことで、市境の里部分は激変しています。一部修正はしましたが、これは再度あるかんとあかんなあ、と思うしだいです。

 これからは、交野市境をあるく 山編 に移ります。

 

 

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